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歌劇「神の恵」
(作詞作曲者不明)
東京旭少女歌劇団(ピアノ伴奏)
オリエントレコード 1813
録音:1918(大正7)年4月〜1920(大正9)年2月
アコースティック録音

歌劇「コブ取の
話」
東京旭少女歌劇団(ピアノ伴奏)
オリエントレコード 1785
録音:1918(大正7)年4月〜1920(大正9)年2月
アコースティック録音

歌劇「おもちゃと太郎」(鈴木康義作)
東京少女歌劇団(管弦楽伴奏)
白川澄子 谷崎歳子
貴島田鶴子 千種百代
外十数名
オリエントレコード 1934/35
録音:1921(大正10)年頃?
アコースティック録音

歌劇「籐六と人形」(鈴木康義作)
東京少女歌劇団(管弦楽伴奏)
白川澄子 谷崎歳子
貴島田鶴子 千種百代
外十数名
オリエントレコード 1936/37
録音:1921(大正10)年頃?
アコースティック録音

この音源と佐々紅華に直接の関係はありませんが、浅草オ
ペラで一ジャンルを確立していた「少女歌劇」ものという
ことで取り上げました。
舞踏家西本朝春と、後の東京少女歌劇団主宰鈴木康義は大
正6年3月、少女歌劇「日本歌劇協会」を創立します。こ
れは、大正2年に設立され、大正3年4月に第一回公演を
行った宝塚少女歌劇団の活動に刺激を受けたものと思いま
す。日本歌劇協会は、大
正6年10月には「ビューチー一座」
と改名しますが、同年末には一時解散、翌大正7年2月に
「エンパイヤ歌劇団」として復活、4月からは「アサヒ歌
劇団」として、当時浅草オペラの常設館であった日本館で
活動を展開します。
アサヒ歌劇団は一条久子、明
石須磨子、貴島田鶴子、梅村
千代子らをスターとした、若い女優だけを使った少女歌劇
や、男優も加わった史劇やお伽歌劇を主に演じていたよう
です。ちなみに、後に藤原歌劇団を結成・運営し、日本の
グランド・オペラの発展に多大な功績を残
した藤原義江が、
新国劇から浅草オペラの道に入ったのは、大正7年4〜5
月のことでしたが、最初に入ったのが、このアサヒ歌劇団
でした。その後アサヒ歌劇団は、大正8年9月下旬に日本
館から駒形劇場に移り単独公演を行いますが、収支バラン
スが釣り合わず、翌大正9年2月に鈴木康義は一座を率い
て名古屋を本拠地に移し「東京少女歌劇団」として活動す
るようになります。
以上のことから、旭少女歌劇団のレコードは大正7年4月〜
大正9年2月の間に録音されたものと思われます。レーベ
ルには、「旭少女歌劇団」という記述しかないために、実
際誰が歌っているのかは定かではありません。ですが、神
の恵で人形役を演じている一番若そうな声は、ひょっとし
たら一条久子なのかもしれません。
なお、これらのレコードは製作時の技術的問題と思われる、
再生音に周波数の変動などが見られます。ご了承ください。
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