黎明期の日本のオーケストラ

6.第一世代の国際的指揮者−近衞秀麿

日本のプロとしての本格的なオーケストラ活動は、山田耕筰と近衞
秀麿によってもたらされたと言っても過言ではないだろう。そして
世界的な活動という点で言えば、山田耕筰が日本での活動を中心と
していたのに対し、欧米に広く活動していた最初の日本人指揮者と
して、近衞秀麿の功績は特筆すべきものがあるだろう。

近衛秀麿
《略歴》近衞秀麿(1898-1973)。貴族院議長も務めた公爵近衞篤麿の次男と
して生まれる。兄は後総理大臣となった近衞文麿。学習院、東大美学(中
退)で学んだ後パリ、ベルリンに留学。1924年にはベルリン・フィルを指
揮しヨーロッパデビュー。同年9月26日帰国演奏会を開き、マーラー交響
曲第一番の第三楽章を演奏。マーラーが日本で鳴り響いた最初となった。
1925年4月山田耕筰と共に「日露交歓交響管弦楽演奏会」を企画、開催。
山田耕筰と共に指揮する。同年、山田耕筰と共に日本交響楽協会(民間初
の本格的オーケストラ)を結成。1926年、山田耕筰と対立し日本交響楽協
会が分裂。近衞は新交響楽団(現NHK交響楽団)を設立し指導にあたる。
1935年新交響楽団の指揮者を辞し、欧米各地のオーケストラを客演指揮す
る。1937年、NBC交響楽団の設立と同時に指揮者陣に加わる。その後ア
メリカ国内の対日感情悪化のためベルリンに活動拠点を移す。1945年、敗
戦直前のベルリンから脱出、12月帰国。1946年東宝交響楽団(現:東京交
響楽団)の発足と共に上田仁と共に指揮者陣に加わる。1950年近衞管弦楽
団(後ABC交響楽団。1961年ヨーロッパ公演旅行の混乱により活動を停
止)を設立。1973年東京で死去。戦前、前後を通じ、多数のレコーディン
グを行った。

近衞家といえば、五摂家筆頭格のお家柄。要は「お公家様」の親分
であるわけだが、明治維新以降は貴族の家となった。秀麿自身も子
爵で、兄の文麿は総理大臣までなった人。しかも、あんな人やこん
な人まで総理大臣になった最近とは違って、戦前の総理大臣ともな
れば、そりゃあエライもんです。こうなると秀麿もなにやら一般ピー
プルとは違う、なにやら近寄りがたい雰囲気。と思いきや、愛すべ
き「オヤカタ」なのであります。

近衞の棒はなかなかわかりにくく、当時ドイツ最高の指揮者と言わ
れたフルトヴェングラー(1886-1954)をもじって「フルトメンクラウ
(振ると面食らう)」と言われたらしい。しかし朝比奈隆によれば、
演奏者からは決してわかりにくい指揮ではなかったそうです。そん
な近衞秀麿の指揮ぶりは、旧日フィルとのDVDが発売されていま
すが、確かに今風の指揮とはまったく違うことはわかります。どち
らかとうと、曲の雰囲気を大づかみにして、雰囲気を表しているよ
うな指揮振りだと思います。決して派手な指揮ぶりで楽員をあおる
ような指揮振りではありませんが、。

近衛DVDシ ベリウス 交響曲第2番
ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」


近衞秀麿 指揮
日本フィルハーモニー交響楽団
園田高弘(ピアノ)

録画・録音
シベリウス   1970/04/27 東京文化会館
ベートーヴェン 1969/09/30
 東京文化会館

近衞の最晩年のライブ映像です。曲の解釈はやはり近衞秀麿の文化的背景が
戦前にあることがわかります。シベリウスは近衞の十八番と言われているよ
うですが、現代の「何か追い詰められたようなシベリウス」ではなく、予定
調和の世界にいるシベリウスです。

さて、日本での近衞の功績といえば、新交響楽団の生みの親として、
その基礎を作ったことだろう。新交響楽団の活動を通じて、本格的
オーケストラの「生の音」に接した人も多いだろう。それだけでな
く、当時のトップクラスの指揮者、エーリッヒ・クライバーやスト
コフスキーらとの親交(後年、ストコフスキーの来日公演の実現の
ため、当時日フィルの常任であった
渡邉曉雄が、ヒューストン交響
楽団の常任をしていたストコフスキーと初めて会った時、開口一番
ストコフスキーは「コノエは元気か?」と訊いたそうだ)を深め、
ストコフスキーの口利きで、全米のオーケストラへの客演指揮旅行
まで決まっていた(対日感情の悪化で実現はしなかった)。ドイツ
ではベルリン・フィルの指揮・録音や、ナチス占領下のパリでオー
ケストラを結成するなど、八面六臂の活躍も(軍事同盟という背景
はあるものの)評価されてしかるべきだろう。

新交響楽団1 新交響楽団2
新交響楽団とのスナップ。左はコンサートマスターのヨセフ・ケーニヒ。

近衛横浜公演記事1928/01/25横濱毎朝新報
横濱毎朝新報1928年1月25日の記事。2月4日横濱開港記念會館で の演奏会の予告記事。
タイトルでは2日となっているが、本文では4日になっている(クリックで拡大します)。

東京交響楽団パンフ1951年8月 プログラム
1951年8月2日、東宝交響楽団から改称したばかりの東京交響楽団を指揮したコンサート・
パンフレット。「5番」ばかり集めたコンサートということで、ラストは絶対「運命」、
と思ったら「新世界」でした。そう言えば新世界は昔、ドヴォルザークの5番だったんで
すね。森正さんがフルートソロをやってます(画像をクリックすると拡大します)。


近衛交響楽団第6回定期 プログラム
1953年3月30日、旧第一生命ホールで行われた近衞管弦楽団(1950年創設、その後 ABC交響
楽団となる)の第6回定期演奏会のパンフです
(画 像をクリックすると拡大します)。
ABCSO−表紙 ABCSO−Page2
ABCSO−Page4 ABCSO-Page5
ABC交響楽団の1957年12月23日、日比谷公会堂で行われた第5回定期演奏会 のパンフです。
結構渋いというか挑戦的なプログラムになっています。楽員一覧もついていました
(画像
をクリックすると拡大します)


では、近衞の新交響楽団などとの録音をいくつか紹介しよう。
アメリカ巡邏兵 近衛 波濤を越えて 近衛
アメリカ巡邏兵 リアルオーディオ
Frank W. Meacham(1856?-1909)の作曲によるこの曲は、ブラスバンドではお馴染みの曲でしょう。この演奏はオケの演奏精度の問題もあり、近衞さん の芸を味わうと言うものではありませんが、ティンパニーが加わった(このティンパニーが結構かっこいいです)、重心の低い音作りをしています。これはオリ ジナルのパーロフォンのレコードです。
波濤を越えて 近衛 リアルオーディオ
こちらはアメリカ巡邏兵の裏面、ローザスの波濤を越えてです。アメリカ巡邏兵と比べると、録音が良くなっているようにも感じるのです が、マトリクス番号を見る限り同一セッションでの録音のようです。ややゆったりとしたテンポで曲が流れていきます。アメリカ巡邏兵とこの曲は、近衞の最初 期の録音としても貴重でしょう。
ドナウ河の漣 ミリタリーマーチ
リアルオーディオ
1929年10月11日録音の、パルロフォン原盤です。近衞指揮のパーロフォン録音の最初のセッションの中の一曲のようです。中間部 で近衞らしき人がメロディーを口づさんでいるのがはっきりと聞こえます。オケは弦がヘタです が、そこはかとなくウィーン臭さが漂うのは、さすが、近衞というところでしょうか。
ミリタリーマーチ リアルオーディオ
これも1930年7月19日録音のパルロフォン原盤のものです。しかし録音が良くないです。マイクが近すぎ、残響がないため、かなり 荒い音になっています。このため ただでさえ粗めの演奏が、余計粗く感じます。
流浪の民 扶桑歌 近衞/新交響楽団
流浪の民-Real Audio
1928年1月31日の録音で、新交響楽団の初録音セッションの中の一つのようです。どちらかと言えば近衞さんの指揮や新交響楽団の 演奏を楽し むというものではありませんが、中間部でテンポを落とし、じっくり響かせようとする方法は、現代ではあまり聴かれなくなったものだと思います。
扶桑歌 リアルオーディオ
左の流浪 の民と同一セッ ションの録音です。シャルル・ルルー(1851-1926)による扶桑歌と言うタイトルになっていますが、ルルーが帝國陸軍軍樂隊を指導していた時期に作曲された「扶桑歌」がイントロダ クションのみ使われ、残りはやはりルルーの作曲による「抜刀隊」が使われて、陸軍の分列隊行進曲となったものです。ですので、厳密に言えばこの曲を扶桑歌 ではないのですが、堀内敬三によれば、当時はこの曲を扶桑歌とも呼んでいたそうです。
カルメン アルルの女
カルメン
1930年7月19日の録音で、先の軍隊行進曲と同一セッションでのもので、第一幕への前奏曲です。録音上の問題なのでしょうか、残 念なことにシンバルが省略されてい ます。
音は軍隊行進曲同様、残響のきわめて少ない狭いスタジオでの録音のようで、アラが目立つものとなっているのが、大変残念です。

アルルの女
これも1930年7月19日の録音で、ファランドールです。マトリクス番号から見ると、軍隊行 進曲の直前に録音されたものと思われます。これも録音上の問題かティン パニーがありません。ちなみにですが、このレコードには近衞さん自身と思われるサインがレコードに入っています。
近衛さん(?)のサイン
トロイメライ 近衞/新交響楽団
軽騎兵序曲 近衛秀麿
トロイメライ
1929年頃のパルロフォン原盤による録音で、軍隊行進曲の裏面です。ヴァイオリンが主旋律を担当し、曲をリードします。弦がポルタ メントを多用し、甘さ を強調する手法を採っています。メンゲルベルクやストコフスキーを髣髴とさせる、20世紀前半の美意識ならではの演奏だと思います。
軽騎兵序曲 近衛秀麿
これは1933年3月9日録音のパーロフォン への吹き込みだ そうです。25cm盤で、このサイズに収めるためと思われる、かなり大胆なカットがあります。曲を楽しむにはかなりの障害になるかと思いますが、B面の頭 で思わぬフェルマータ処理がされていて結構驚きました。小さなスタジオでの、オンマイク気味の録音で、割れ気味の音になっていますが、それま での録音と比べ、かなり音質的に改善されています。ただ、シンバルがやはりここでも入っていないのは、大変残念ですし、小太鼓がかなりマイク から遠いのも残念です。しかし、演奏はなかなか面白いのではないかと思います。
美しく青きドナウ ウィリアムテル
流浪の民リアルオーディオ
1935年の録音で、右のウィリアム・テルと同一セッションの録音だそうです。録音時間の問題に起因すると思われる、若干のカットが あったり、力強さや縦 の線と言う意味では弱いところもあるようにも思いますが、メロディの歌わせ方や弦のポルタメントが素敵です。情緒あふれるブルー・ドナウになっています。 こんな近衞さんの演奏、是非、生で聴いてみたかったです。
リアルオーディオ
1935年、近衞が新交響楽団を退団する直前の録音です。「ドナウ河の漣」に比べると、オーケストラが格段に進歩しているのがわかり ます。演奏はゆとりを持ったテンポで曲に語らせるタイプで、また導入部やラストの長和音ではデクレッシェンドするなど、今風のものではありませんが、これ はこれで楽しめます。それにしても、わずか5年で、これだけアンサンブルが良くなる事は脅威です。

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